恋人とファッション

2013.5.25

今回は恋愛とファッションの関係を考えてみたい。この話題は一般的にはモテの文脈で語られることが多いが、ここで紹介したいのは、恋人同士におけるファッションにまつわるエピソードである。



私はかつて、

「短髪の森田さんより、長髪の森田さんのほうが、1.5倍好き。」

と、彼女から言われたことがある。

「1.5倍か・・・。」

その妙にリアルな数字に軽い戸惑いをおぼえたのだが、それはさておき、最近、知人の男性が恋人から似たようなことを言われて悩んでいると聞いて思わず笑ってしまった。

「坊主をやめて。」

男から見ると彼の坊主はこれ以上ないくらいハマっていて非常にカッコよく、伸ばすなんてもったいない。しかし彼女にとっては、彼のファッションのなかで唯一そこだけが気に入らないところらしい。

恋人のファッションが「こうあってほしい」という希望は、誰しもが抱くものなのだろうか。

☆☆

女性の友人達に、付き合うならどういう服装の男性がいいかと聞くと、おしなべて次のように答える。

「Tシャツにジーンズ。シンプルでいい。あと、スーツね。」

ゴチャゴチャ考えることなかれ、ということか。ただし「シンプルでいい」は「何でもいい」とは違う。

それで思い出したエピソードが、二軍ラジオ第31回「おしゃれカンケイ」でも紹介した「リアルスヌーピー事件」だ。これも友人から聞いた話で、

「彼が(ビンテージのスウェットでよくあるような『オシャレスヌーピー』ではない)『リアルスヌーピー』のTシャツを着ていてすごくイヤ。」

だったというエピソードである。私はリアルスヌーピーな彼のこともよく知っていて、そういうところがあいつらしくて良いんじゃないかと、かなり強い口調で彼女を諭したのだった。結局、彼女たちは結婚して幸せそうに暮らしているが、彼は相変わらず服装に無頓着である。

上述の「Tシャツでいい」と言っていた女性達が想定していた「Tシャツ」は、おそらくはユニクロやH&Mで売っている無地のもので、間違ってもリアルスヌーピーではないだろう。

いっぽうで夫について次のように語る女性もいる。

「彼、『靴流通センター』で売ってる、見たこともないようなメーカーのスニーカーを履いてるの。髪の毛は1000円カット。素敵でしょ?」

これはリアルスヌーピー的な無頓着さを称揚する立場である。彼女は私の高校時代の先輩で、自身はかなりセンスが良く、当時から現在まで一貫していわゆるオシャレな人だというところが面白い。
☆☆☆

「髪を伸ばして」といった「こうあってほしい」希望を恋人に伝えることは、言い換えると「私のためのオシャレをしてほしい」ということで、同時にこれは「あなたの外見という価値に重きをおいている」という宣言でもある。言われたほうは、自分の価値をより高めたいという気持ちが強ければ従うし、それよりも自身のスタイルを貫くことをよしとすれば無視することになる。フェミニンでやや個性的なファッションに身をつつむ弊社の清田代表は、コンサバな格好を好む彼女と付き合っているときに、前髪を短く切ってそろえた通称「辻本清美カット」にして愛想をつかされそうになったことがある。自分のスタイルを貫いた好例といえる。

「無頓着なところがよい」というのは、その服装に現れる彼のパーソナリティーを好いている点が、他の例とは異なる。ただこれとて無頓着な「服装」がよいと言っているわけで、それはそれでファッションを重視している気がする。

では、「リアルスヌーピーはやめて」という希望はどう考えればよいか。ここにはどうしたって周囲からの視線に対する意識を感じてしまうのだが、リアルスヌーピーな彼と彼女もなんだかんだ結婚したことから考えると、最終的には当人同士の閉じた問題に帰着するのだとも思う。

☆☆☆☆

顔立ちや体つきとちがって、ファッションは容易に変えられるし、後になって元に戻すこともできるので、恋人に対しても比較的カジュアルに希望を伝えやすいのだろう。しかし「外見」という大きなカテゴリーで見れば、顔も体型も服装も髪型も同じなのではないかという気もしてくる。整形先進国・韓国ではひょっとしたら、
「ちょっと目を大きくして。」
とか、
「アゴ、削った方がいいんじゃない?」
なんてことを恋人に伝えたりするのだろうかと、ふと考えた。その希望とファッションに対する希望との間にどれだけの距離があるのか、私にはまだよくわからない。(了)