ふたりだけの呼び方

2013.4.27

「ラジオのネタになるようなエピソードなんて、持ってないよ」
友人の多くは、恋の思い出を尋ねるとこう答える。
ほとんどの場合、これは誤りである。持っていないのではなく、頭の中の、普段は使わない引き出しにしまってあるだけなのだ。ちょっとしたきっかけで彼/彼女のエピソードはどかどかと溢れてくる・・・。

私が総裁を務める「恋の思い出銀行」は、ともすれば永遠にしまわれたままになってしまう「恋のタンス貯金」を預かり、運用している。これまでの運用先は二軍ラジオだけだったのだが、文字にして残しておくことも意味があるのではないか思い、こうしてコラムという形でもアーカイブしていくことにした。なおコラム内に出てくる名前はすべて仮名だが、すべてのエピソードは(預けてくれた人にとっての)事実に基づいて綴られている。


前置きはこれくらいにして、第一回のエピソードに入りたい。二軍ラジオで「恋人同士の呼び方」というテーマを扱った「絵美と大輔」の収録直前に、会社の先輩と出張帰りに話していたときのこと。

「次のラジオのテーマは呼び方なんですよ。簡単に言うと、恋人のことを何て呼ぶかっていう。ちなみに俺は、下の名前で呼ぶのが苦手なんです。」
それに対して先輩は、自分はそんなに恋愛経験がないとか、ラジオで紹介できる面白い話はない、とまずは答えたのだが、しばらくしてから、
「そういえば、付き合い出した時には、最初に必ず、向こうからの呼び方を提案してもらうようにしてたな。」
「ん、どういうことっすか?」
それで先輩が当時を再現してくれたやり取りが次のようなものだった。なお、先輩の名前は『たくや』である。

「『たーくん』はどう?」
「それは前の彼女に呼ばれてたのと同じだからイヤ。」
「じゃあ、『たくやくん』」
「あ、それは高校生の時の彼女が使ってた。」
「『たくちゃん』は?」
「ちゃんづけはちょっとなあ。」
「うー、そうかあ・・・。『たく』はどうかな?」
こうしたやり取りの結果、呼び方が決められる。元カノとの重複を避けるために「たくや」からバリエーションをつくるのには当然限界があるのだが、「付き合った人数が少ない」ので、結婚するまで「もった」とのこと。また、先輩から彼女への呼び方も「元カレと同じはイヤ」なので、同様のやり取りを行う。
「でもまあ、こんな話、普通過ぎて面白くないでしょ」
もちろん私は、超面白いじゃないっすか、と答えた。
☆☆

改まって提案してもらうという、その手続き的な話し合いの形が興味深い。今後2人は付き合っていく、つまり、これまでとは「関係性が変化する」ことを言葉で確認する。もしかすると世の中には、こういう話し合いをする人のほうが多いのかもしれないが、できない人も結構いるんじゃないだろうか。
私がそうだ。
改まってそんなことを話合うのは、なんというか、芝居じみていて気恥ずかしい。「呼びたいように呼んでよ」とか、「あえて変えるのも不自然じゃないか」と思ってしまう。だが、付き合う前後で関係性が変わるのに、関係性を表す呼び方が変わらないのもまた不自然である。

本当の意味で自然なのは、話し合いをせずに呼び方を変化させることなのだろうが、そうすると、先輩が拘る「元カノとの重複問題」が発生する危険性が高くなる。したがって、最初に話し合うという手続きが(先輩にとっては)どうしても必要なのだ。

それにしても、「前の彼女と同じだからイヤ」とハッキリ伝えるというのは、すごい。普通、元カノの残り香はできるだけ消そうとするものだが、この言い様は、香水をいきなり鼻先にぶちまけるような直截さだ。しかしそうすることで逆に、元カノとは絶対に同じ呼び方ではないという安心感や、これはスペシャルでオンリーな呼び方であるという認識を、彼女は得られるかもしれない。
わたしだけ、わたしたちふたりだけの呼び方。
☆☆☆

最初に手続き的に話し合うことや、重複問題に拘るということは、先輩が「名前を呼ぶこと」を大切にしている現れなのではないかとも思う。それは、結婚して10年経ち子どもが小学生になっても、最初に決めた呼び方でお互いを呼び合っているふたりの姿からもよくわかる。(了)